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名古屋高等裁判所 昭和48年(う)509号 判決

被告人 村瀬惣一

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年に処する。

但し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人伊藤公、同由良久共同作成名義の控訴趣意書(但し、第三項は当審第二回公判期日において撤回)に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

一  控訴趣意第一の一及び第二の三(原判示第一の事実中、選挙公報の前段部分につき、事実誤認ないし法令適用の誤りを主張する論旨)について、

1  所論は、原判示選挙公報中「田中彰治」を引用した部分(以下前段部分という)は、松野候補に対する単なる県政私物化の非難に過ぎず、また何ら具体的事実を摘示したものではないのに、原判決が「松野候補が、その地位を悪用し、詐欺、恐喝等の容疑で取調べを受けている田中彰治と同じような犯罪容疑者である」旨の具体的事実を摘示したものと認定したのは、事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用の誤りがある、というのである。

所論にかんがみ、記録を精査し検討するに、原判決が前記前段部分をもつて「田中彰治がその地位を利用した犯罪容疑で取調べを受けている旨大々的に報道されている時期に、このような表示をしたことは松野候補が、田中彰治の容疑事実と同様或は類似の犯罪容疑者である旨を最も直截簡明に表示したものというべきであつて……一般的、抽象的な評価の表示の域を超えた具体的な事実の表示に属する」旨説示し、前段部分が名誉毀損にあたると認定したことは所論のとおりである。そして原判決挙示の各証拠を総合すると、昭和四一年八月ごろ新潟県選出の衆議院議員田中彰治が衆議院決算委員などの地位、職権を利用して多額の恐喝、詐欺等をした容疑で東京地検に逮捕され、取調べを受けた結果、恐喝、脱税容疑で起訴されるに至つたが、これに関連して、特に同月六日ごろから同月三〇日ごろにかけては連日のごとく各新聞、テレビ等で右事件の内容が同人に対する強い非難、攻撃の声と共に大々的に報道されていたことが認められ、また、一方前記松野候補は、知事在任中県庁舎を移転し、その周辺の地価を騰貴せしめるに至つたとか、県内各地にその支援団体松野後援会が幅広く結成されている問題、あるいは岐阜県選出の国会議員に一〇万円宛歳暮を贈つた件をはじめ、特別交付金の配分や岐山荘敷地買収のことに関し県議会等で度々質問され、これらの問題に関連して松野候補が何らかの私利を図つていたのではないかと一部の者に噂されていたことが窺える。しかしながら、右のごとき報道や噂があるからといつて、これを、原判示公報掲載文の記事と結びつけ、前段部分の表示が原判決認定のごとく松野候補が田中彰治と同様あるいは類似の犯罪を犯した者として理解することは困難である。

けだし、名誉毀損罪における具体的事実の有無は、当該公報に掲載された記事自体によつて判断すべきであつて、その当時たまたま問題となつていた事件や社会情勢を参酌して、その内容を補完し、もつて具体的事実の摘示の有無を認定することは、許されないものと思料されるからである。

そこで、本件公報掲載文自体を通読してみるに、前段部分は、「立候補にあたつて」という項において、まず全県民の代表である知事の本来在るべき姿なり義務について候補者としての所信を述べ、次いでこれに反する松野知事の施策ないし政治姿勢を批判するにあたり、同知事の人物評価の側面を抽象的比喩的に強調したくだりの一部であつて、表現としていささか激越、辛辣であることは否定できないけれども、要するに、その施策なり政治姿勢に照らし、松野候補は私利私慾を追求した田中彰治と選ぶところがない政治家であると主張する趣旨に読みとれるのである。すなわち、「新潟に田中彰治あり、岐阜に松野幸泰ありといわれるほど」とある部分は「県政の腐敗は頂点に達し」という文句の修飾的な語句であつて、それだけで完結した意味をもつのではなく、更に「私利私慾を追求し」とか、「県政の腐敗は頂点に達し」とか「金力と権力に毒され」あるいは「利権の修羅場と化し」といつた言葉は、選挙の際特定候補者が対立候補者の人格、施策、政治姿勢等を批判する場合や政治討論、演説会等で常套的に使われる用語であつて、これらは、松野候補の知事在任中における県政の弊害ないし欠陥を強調し、その政治姿勢に対し抽象的に批判を加えた趣旨に過ぎず、もとより右部分が、原判決認定のごとく「松野が田中彰治と同じような犯罪容疑者である」旨具体的に事実を摘示したもの、と断ずることはできない。結局、このような松野候補に対する批判や意見、価値評価等の当、不当は、公報の読み手である有権者の自由な判断にゆだねられるべき事柄であつて、松野候補の社会的地位を害するに足りる具体的事実とは認め難い。従つて、前段部分は、名誉毀損罪の構成要件たる事実の摘示があつた場合にあたらないから、この部分について名誉毀損罪の成立を認めた原判決は事実を誤認し、ひいてはこれに対する法律的評価を誤つたものというべく、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

2  次に、所論は、前段部分が昭和四四年法律第四八号による改正前の公職選挙法第二三五条第二号の構成要件たる「虚偽事項」にあたらない旨主張するので、検討する。

同条のいわゆる虚偽事項公表罪が成立するには、公表事項が虚偽であること及び犯人においてその虚偽であることを認識していたことの証明を必要とするのである(最高裁判所昭和三八年一二月一八日第二小法廷決定刑集一七巻一二号二四七四頁参照)から、右公表事項は、虚偽であることの証明に適するような具体的事実でなければならないと考えられる。また同条は、候補者に対する虚偽事項の公表行為がありさえすれば、それだけで選挙の公正に対する抽象的危険の発生があるとして、これを処罰する趣旨と解されるが、それはとりもなおさず、具体的な事実を公表する場合は、選挙民に与える影響力が大きいと考えられるからであつて、単に抽象的な人の意見ないし価値評価にわたる場合はこれに含まれないと解される。前段部分が具体的事実にあたらず、単なる意見、価値評価に過ぎないことは、前記説示のとおりであるから、その内容が虚偽か否かを論ずるまでもなく、前記第二三五条第二号の虚偽事項に該当しないといえるので、虚偽事項公表罪もまた成立しないといわなければならない。したがつて、前段部分につき虚偽事項公表罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認ないし法律の解釈、適用を誤つた違法がある。

3  以上の次第で、原判示第一の事実中、選挙公報の前段部分は、名誉毀損罪も虚偽事項公表罪も成立しないというべきであり、この論旨は理由がある。

二  控訴趣意第一の二及び第二の四(原判示第一の事実中、選挙公報の後段部分につき、事実誤認ないし法令適用の誤りを主張する論旨)について、

1  所論は、本件選挙公報中、いわゆる五項目の覚書に関する部分(以下後段部分という)について、原判決の認定は、五項目の覚書に対する松野候補の承諾の有無ないし調印拒否の点において事実の誤認があり、ひいてはこれに名誉毀損罪及び虚偽事項公表罪の成立を認めた点で法令適用の誤りがある、と主張する。

よつて検討するに、原判決挙示の証拠を総合すると、自由民主党(以下自民党という)岐阜県連合会(以下岐阜県連という)の内部において、昭和四一年九月施行の岐阜県知事選挙(以下本件選挙という)を前に、出馬の意向を表明していた松野幸泰(当時岐阜県知事、以下松野という)と松尾吾策(当時岐阜市長)のいずれを公認推薦するかについて、かねてより各支持者の間に対立があり、紆余曲折を経て、同年六月一一日同県連役員総会は表決で松野推薦を決定し、同月一八日自民党本部(選挙対策委員会)は、松野の公認を決定するに至つたこと、そこで松野は同月二八日佐藤自民党総裁に挨拶のため上京し、挨拶に先立つて岐阜県選出の自民党所属国会議員らに面接したこと、ところが従来松野の公認に反対していた野田卯一、金子一平、大野明三代議士から、松野に対し、公認が決定した以上挙党一致で選挙戦に臨むため、その協力の条件として、右三氏の提示した五項目を承認するよう申入れがあつたこと、その条件の内容は原判示公報記載の覚書中第三項後段部分を除く五項目であつたところ、松野はこのうち第五項の「松野会を解散させること」の条件は直ちに承認できない旨答え、佐藤総裁の面前でもこの点に関し意見を交換した結果第五項を「松野会については慎重を期し、その運営に留意する」旨修正することにしたこと、同日は都合により各自がこれに署名するまでに至らず、後日清書した文書に調印することとして帰県したこと、以上の事実が認められる。この間の事情につき、原審証人松野幸泰の供述中には「そんなことは話の過程ですから賛成も反対もそこで表明すべき段階ではないと思います」とあり、右五項目を明文化したメモが当日初めて松野に提示され、時間的余裕もなかつたことから、松野としてはこれを全部にわたつて十分検討することができず、全面的に承認するに至らなかつたことが窺われる。右経緯につき翌六月二九日付の岐阜日日新聞朝刊(当庁昭和四八年押第一五四号の一四〇)及び同日付朝日新聞朝刊岐阜版(同号の一四一)は、それぞれ五項目の概要を掲げ、これを松野が了承ないし再確認した旨報じているが、この中には、原判示覚書第三項後段部分に該当する事項は含まれていない。また前掲証拠によれば、その後、野田卯一から松野のもとへ清書した五項目の覚書(同年七月一〇日付)が調印を求めるため送付されてきたが、右覚書には、これまで松野において了承を求められたことすらなかつた「県職員、県関係機関を選挙に関し政治的に使用しないこと」との条件が第三項後段に付加してあつたこと、このため松野は右条件を承認することは、松野が過去において県職員等を選挙に使つていたという事実に反することを認める結果となるため、調印を留保し、これの取扱いを自民党岐阜県連会長である古池信三参議院議員に依頼したが、結局右条項につき前記三代議士らとの意見の一致をみないまま選挙戦に入つたこと、一方、松野の対立候補と目されていた松尾吾策は、その後健康上の理由で立候補を断念し、代りに県政刷新同志会副会長の平野三郎が、右同志会と岐阜県知事選挙共闘会議の支持を受け、無所属で立候補するに至つたこと、以上の各事実が認められる。

右認定のごとく松野に対し野田卯一ら三代議士から五項目の覚書の提示があつたのは、松野が自民党本部の公認を受けた後のことであり、公認されたため挙党一致の態勢をとゝのえるべく、右覚書の承認を求められるに至つたのであつて、覚書の承認は公認を決定するため問題となつた事柄ではない。

してみると、本件選挙公報掲載文では五項目のうち、松野が全く承認していない第三項後段部分と修正前の第五項がそのまま掲載されている点で事実と相違し、かつ五項目の承認を求められた時期は公認決定後であるのに公認決定前と記載し、恰も松野が前記三代議士に覚書を承認する旨偽つて公認を得、公認が決定するやこれを拒否したものと受け取れる記事としたことは、事実に反するといわねばならない。

所論は、公認決定前、松野は自民党県連役員総会等において「従来の政治姿勢を改める」とか「権力主義的政治のやり方を改める」との条件を提示され、これを承認したため、同県連より公認を申請したものである。従つて本件覚書は、右条件を集約統一し具体的に表現したものであるから、結局本件公報の後段部分の内容は事実に反していない旨主張する。

しかしながら、所論のような抽象的表現にとどまる条件を承認していたからといつて、本件五項目についても、松野が当然了承していたと解することは、本件覚書の具体的内容やその影響、調印を求めるに至つた経過等に照らし到底認めることができない。

結局、後段部分は、本件選挙公報を閲読する有権者をして、松野が、知事在任中に県庁職員等を使つて選挙運動などをしていたように誤解させ、また信義に悖り、その政治節操を疑わせ、ひいては県政担当者にふさわしくないとの疑惑を抱かせるに足りるものであつて、原判決説示のごとく、選挙人の自由な意思決定に影響を与え、松野の名誉を低下させる事柄というべきである。従つて、後段部分につき名誉毀損罪の成立を認めた原判決に所論のような事実誤認や法令適用の誤りはなく、本論旨は理由がない。

2  次に所論は、被告人は、新聞記事と県政刷新同志会から入手した資料で事実の真否を判断したうえ、本件選挙公報掲載文を作成したものであるが、被告人が県政刷新同志会に伝えられた野田代議士らの情報等をそのまま信用したのは、同代議士らが本件覚書に直接関与した国会議員であるからであつて、これを真実であると信ずるについては相当の理由があつたのであるから、虚偽事実公表罪の犯意を欠く、と主張する。

原判決挙示の証拠によると、被告人は本件公報掲載文を起草するにあたり、五項目の覚書の件に関しては新聞報道や県政刷新同志会から入手した情報や資料を参考にして作成し、松野陣営や自民党岐阜県連会長等に松野が右覚書を承認したか否かなど全く照会していないこと、また右覚書をめぐる経過については、野田卯一ら三代議士が松野に五項目の条件を提示した当初から岐阜県内で発行、販売されていた各新聞に逐一報道され、前示のごとく、本件公報における五項目とは、その内容が合致しない部分のある覚書の概要も報じられていたほか、松野三選阻止を早くから表明していた日本社会党岐阜県総支部の幹部たる被告人としては、反松野の立場に立つ前記三代議士らから県政刷新同志会にもたらされる情報によつて、右同志会の役員らと平野三郎のため言論戦の方針を協議していたこともあつて、本件選挙に関心を有する県民以上に本件覚書問題の真相を把握していたことが推認できる。当審における事実取調べの結果に徴しても、右認定を左右することはできない。してみると、被告人は五項目の内容や松野が承認を求められた時期につき本件選挙公報掲載文に表示したところが事実と相違し、虚偽であるとの認識を有していたものと推認することができる。

また所論は、仮りに本件選挙公報掲載文に時期等若干部分の誤りがあつたとしても、法律的評価において虚偽事実の表示があつたと認めるべきではないから虚偽事項公表罪にあたらない旨主張する。

しかしながら、事件選挙公報掲載文の事実の相違点は、所論にかゝわらず、その内容において軽視することができないものであつて、正に松野候補の信用を失墜させ、もしくはこれに影響を及ぼすような事項にあたり、同候補の名誉を低下させるに足りるものであるといわなければならないことは、前記説示のとおりである。以上のとおり、後段部分につき虚偽事項公表罪の成立を認めた原判決は正当であつて、所論はいずれも採用できず、本論旨も理由がない。

三  控訴趣意第二の一、二(原判示第一の事実につき法令の解釈、適用の誤りを主張する論旨)について、

1  所論は、昭和四四年法律第四八号による改正前の公職選挙法第二三五条(控訴趣意書に第二三四条とあるは誤記と認める)第二号は、選挙公報について適用がなかつたにもかかわらず、これを適用した原判決には法令適用の誤りがある、と主張する。

しかしながら、この点に関しては、原判決が「弁護人の主張とそれに対する判断」の一、で説示するとおりであつて、同法第二三五条は「その他いかなる方法をもつてするを問わず」と規定し、他に選挙公報を除外すべき理由も明文規定も存しない以上、当然選挙公報についても右条文の適用があるものと解せられる。また、昭和四四年法律第四八号公職選挙法の一部を改正する法律によつて制定された公職選挙法第二三五条の三は、この趣旨を明らかにすると共に、通常の虚偽事項公表罪(同法第二三五条)と比較し、政見放送あるいは選挙公報において虚偽事項の公表罪を犯した者については、更に重い刑を科する必要があるとの見地から設けられたものと考えられる。従つて、原判決に所論指摘の違法はなく、本論旨は理由がない。

2  所論は、選挙公報を利用して前記第二三五条の罪を犯す者は候補者本人以外にはあり得ないのであるから、候補者ではない被告人に対し、同条を適用した原判決は、法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

よつて考えてみるに、選挙公報は、候補者名義で掲載され、その内容も当該候補者自身の経歴、政見等であるから、選挙公報に虚偽の事項が掲載された場合、通常候補者本人がその刑事責任を追求される立場にあることは否定できないところであろう。しかしながら、同条は、行為の主体について何ら限定していないうえ、同条所定の行為は、候補者本人に限らず、候補者以外の者によつても行うことが可能であるから、このような場合、同条の適用範囲を候補者のみに限定し、それ以外の者を除外すべき合理的理由は、到底見出し難い。これを事件についてみるに、後記認定のごとく本件選挙公報掲載文原稿は被告人において単独で作成し、その後これを平野候補に見せたり、その内容または要旨を告げたりすることなく提出に及んだというものであつて、同候補が直接もしくは被告人をして前記のごとき原稿を作成させた事実が、証拠上認められない本件においては、同候補に対し、前記罰条を適用し、法律上その責任を追求することは困難であり、一方被告人の所為は、単独で同条所定の構成要件に該当する行為をした場合にあたるから、被告人に対し、同条を適用した原判決は正当であつて、所論のような法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

四  控訴趣意第二の五(原判示第二の事実につき法令適用の誤りを主張する論旨)について、

所論は、被告人が平野候補の委任により公報掲載文原稿を作成した行為は、選挙公報制度に基づく内部的行為であり、選挙管理委員会への提出行為は、同候補の使者としての行為に過ぎないのであるから、公職選挙法第一三七条の三に規定する選挙運動に該当しないのに原判決がこれにあたるとして被告人を処断したことは法令の適用を誤つた違法がある、と主張する。

所論にかんがみ、当審における事実取調べの結果を参酌したうえ、原審において取調べた証拠を検討し、考えてみるに、原判決挙示の証拠を総合すると、被告人は当時日本社会党岐阜県総支部書記次長として、党務をとるかたわら平野三郎候補を支援するため、革新系団体で組織された岐阜県知事選挙共闘会議の事務局次長をも兼ねていたところ、かつて選挙公報掲載文原稿を執筆した経験があつたため右共闘会議の委嘱により、執筆を引受けるに至つたこと、原稿作成にあたつては、平野候補から直接聞いた同人の政見や松野県政に対する意見等をはじめ、右共闘会議と県政刷新同志会との間で討議された方針を参考とし、被告人が理解したところに従つて単独で起草し、これを妻村瀬たけのをして浄書させたうえ、このコピーによつて印刷業者竜文堂に写真植字を依頼し、その完成したものを予め入手していた平野候補の写真、署名と共に昭和四一年八月三〇日岐阜県選挙管理委員会に提出したことが認められる。

ところで、選挙公報掲載文の原稿提出は、立候補予定者が立候補届出後に選挙運動をするについて当然必要とされる準備行為であるが、その文案の作成までは立候補準備行為であつて被告人の原稿作成は平野候補との内部関係にとどまり、選挙運動に該当しないと解されるので、その限度では所論は理由があるといわねばならない。

しかしながら、被告人が本件公報掲載文原稿を県選挙管理委員会に提出した行為は、被告人が単に労務の代償をうることを目的として行われたものではなく、右原稿が公職選挙法第一六九条第二項の定めるところにより原文のまま印刷され、これが選挙管理委員会を通じて県下各有権者世帯に配布されることを十分予期したうえの行為である以上、平野候補に当選を得させるため選挙民に働きかけることを目的とした選挙運動の一環としてなされたものであることは否定できない。

従つて、原判決が、被告人の原稿作成行為を選挙運動にあたるとした点は、その限度において法令の解釈適用に誤りがあり、この違法は判決に影響を及ぼすものというべきであるから論旨はこの点において理由がある。しかしながら、被告人の原稿提出行為につき原判決が選挙運動にあたるとして所論の法条を適用したことは正当であつて、この点につき所論のような法令適用の誤りは認められない。論旨はこの点に限り理由がない。

五  よつて、原判決には以上説示した諸点に誤りがあるので、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条に則り原判決を破棄したうえ、同法第四〇〇条但書に従い、当裁判所において本被告事件につき、更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は逓信官吏練習所を卒業後、岐阜郵便局等に勤務し、全逓岐阜地区本部役員等を経て昭和三九年一〇月ごろから日本社会党岐阜県本部執行委員となり、同四一年九月一八日施行の岐阜県知事選挙に立候補した平野三郎を支援するため、右本部や岐阜県労働組合評議会等の革新系団体で組織した共闘会議の事務局次長をも兼ね、同次長としては事務局長を補佐して各労組との連絡、選挙情勢の把握等の衝にあたつていたものであるが、

第一  対立する自民党公認候補者である前岐阜県知事松野幸泰に当選を得させない目的で、同年八月下旬肩書自宅などで平野三郎選挙公報掲載文に、右松野幸泰を指示し『県民が願う政治姿勢は、野田、金子、大野三氏が示した「県政の公正明朗化の覚書」につきている。即ち一、身辺を清潔にし、県民の疑惑を招かないこと一、特定の候補を推し、ために県内を混乱させないこと一、行政の首長として職務に専念し、県職員、県関係機関を選挙に使用しないこと一、行政を公平に行い、県政と市町村政との融和を図ること、一、松野会を解散すること、この提案を松野君は一たんは承知しながら、公認を受けるや調印を拒否し、逆に三代議士をして違約御破算を表明せしめるに至つたことは、松野君が今後も従来の悪政を続ける意図であることを示すものである。』と記述し、恰も松野幸泰が、かつて同人の自民党公認に反対していた岐阜県選出の衆議院議員野田卯一、同金子一平、同大野明に対し、公認をうる目的をもつて右五項目の提案を承諾したうえ公認を得たが、公認をうけるや前言をひるがえし、右五項目に関する覚書の調印を拒否した旨の虚偽の事実を記載した平野三郎選挙公報掲載文を作成したうえ、これを同月三〇日岐阜市藪田岐阜県選挙管理委員会に提出し、その結果同委員会をして所定の手続を経て前記知事選挙の選挙公報(当庁昭和四八年押第一五九号の一はその一部)にこれを掲載させたうえ、同年九月五日ごろから同月一五日ごろまでの間に岐阜県下の有権者の各世帯に合計約四〇万部を頒布させ、もつて公職の候補者に関し虚偽の事項を公にすると共に松野幸泰の名誉を毀損し

第二  公職選挙法第二五二条の規定により選挙権及び被選挙権を有しないのに拘らず、第一記載のとおり作成した平野三郎選挙公報掲載文を岐阜県選挙管理委員会に提出し、同選挙管理委員会をして第一記載のように岐阜県下の有権者各世帯にこれを掲載した選挙公報合計約四〇万部を頒布させ、もつて選挙運動をし

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示第一の所為中名誉毀損の点は刑法第二三〇条第一項、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法第二条、第三条に、虚偽事項公表の点は昭和四四年法律第四八号による改正前の公職選挙法第二三五条第二号、昭和四四年法律第四八号附則第三項に、判示第二の所為は公職選挙法第一三七条の三、第二三九条第一号にそれぞれ該当するところ、以上は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により結局一罪として最も重い名誉毀損罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で量刑を考えるに、本件は候補者の経歴、政見、抱負等を有権者に知らせる公共の手段ともいうべき選挙公報を利用しての犯行で悪質といわざるを得ないが、一方、本件公報掲載文原稿は被告人が平野候補から直接同候補の所信をきき、かつ支持母体である知事選挙共闘会議と県政刷新同志会で協議された方針に基づき同候補に代つて起草し提出したのであつて、現実に執筆した被告人のみに本件の全責任を負わせるのは酷であることなど諸般の事情を考慮して被告人を禁錮一年に処し、刑法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い全部被告人に負担させることとする。

なお、前記説示の理由により公訴事実第一の一の事実は、名誉毀損、虚偽事項公表の各罪に該当せず、同第二の事実中選挙公報掲載文の作成行為は選挙運動にあたらないので、いずれも罪とならないが、前者は、判示第一(公訴事実第一の二)の名誉毀損、虚偽事項公表の罪と、後者は、同第二(公訴事実第二)の罪と、それぞれ包括一罪の関係にあるとして起訴されたものと認められるので、いずれも主文において無罪の言い渡しをしない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 平野清 岩野寿雄 大山貞雄)

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